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お決まりのパラウオーターの刻印が見られます。ケース固有番号は10530031。ここから1971年5月製造かと思われます。 |
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ホーマーの刻印も赤ペイント入りのモノもありますが、これにはないようですね。当時の低価格品だったのかも? |
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干支(文字盤)色はグレー、私としては時間確認が辛いかな?(^^;; |
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画像の干支と受けの中間あたりにネジがあるでしょ。これで干支を止めているのですよ。 |
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干支の裏にある2本の棒が足となります。先に説明したネジで止まっているのです。 |
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干支を外しますと内側はこんな構造になっています。笠車の上にある銅で出来た座は「剣座」と言う部品。これの働きは剣(ハンド)の四方への遊びを少なくするというものです。 |
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剣座と笠車を外してみました。どちらの部品もネジなどで固定されているものではなく、干支で押えられているだけ。 |
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カレンダーを送る構造です。それぞれの役割分担がある部品で構成されています。画面上に2個の車がありますよね、歯車全体が見えているのが手で時間合わせをする時に笠車から伝達される歯車。そのために笠車の歯の部分の厚さも2.5倍くらい厚くなっているようです。歯車の一部が隠れているのが日送車。この部品は直接見てみますと日送りツメは樹脂で出来ています。ホーマーとしては最終頃の製造のものかもしれません。写真向かって右のところに天真の受石がありますよね、その下の方にカレンダーの歯にかみ合っているレバーがあるのが分かりますか? その部品の横にバネもありますでしょ。これを組立するのが厄介なんですよ。職人泣かせの仕組み?(^へ^;; |
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日車の関連する部品すべてです。必要最小限に抑えられ、コストのことも思案し始めていた時期なんでしょうか。 |
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日ノ裏車と小鉄車との歯先が痛まないように押さえられている部品を外してみました。こうして見ると歯先の連繋部分が分かりますよね。 |
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小鉄車、日ノ裏車、筒カナも所定の位置より外してみました。どの部品も一方向からの押さえしかありませんよね。あまり長期に渡り使用しすぎると、少しのガタツキが各部品に伝染していく可能性も大きいのです。機械内には注油する箇所と注油してはダメな箇所があります。たとえば注油量が多すぎると注油禁止箇所に流れ出し、損傷を早める危険性も加えて発生。どういうことかと言いますとと、注油の油によって摩擦が発生するから各歯車が必要以上に重たくなるんですよ。そして歯先を傷める危険性が起こりうるのです。 グリス(腕時計専用)も長年使用で劣化も発生し、通常駆動する力以上に重たくなってくる。注油も最高持続は2年ないし3年くらいで、そのあと何とか駆動しているものだと思います。よく分解掃除の時期だとか言われたことがあると思いますが、持続して使用するためにも4年に一度は必要だと思いますが、皆さんはどう思われるでしょうか? |
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機械駆動部の配置はこのようになっています。手巻き式ですので、どれも同じような作り方ですが美しい機械ですね。 |
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テンプ受けの天真の上より受石、穴石を外したところです。 |
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左の写真は天真の受石です。小さな部品ですので、ある方法により21倍の大きさに拡大してみました。右の写真は天真の穴石。穴石の枠にある金属の構造で耐震がはかられています。これはシチズン独自の構造です。 |
ホーマーは当時、日本の時計界の先頭をまい進していたセイコーの「クラウン」と同じような機械だと思っています。完成され、安定した機械のホーマーはシチズン製手巻き腕時計の基礎的な存在と言えるでしょう。国鉄の公式腕時計としても採用されています。国産腕時計の「名品」と言っても過言ではないと思うのですが、皆さんはどう思われますか? |