Vacheron&Constantin(バセロン・コンスタンチン/バシュロン・コンスタンタン)の金無垢ケース。1960年頃の製造ですが素晴らしい状態を保っています。まずはVacheron&Constantinの歴史から調べてみました。 同社の創業は1755年。1735年のブランパン、1737年のファーブル・ルーバに次いで古いと言われますが、大きく体制を変えず、その歴史を途切らすことなく時計作りを続けてきたという意味では最古のメーカーかもしれません。ただし時計メーカーというには忍びないほど作り出す時計は芸術的。一般の時計メーカーとは一線を画しており、時計づくりという“業種”は一緒であっても“業態”は明らかに異なります。職人のレベル、その姿勢、製作にかける時間などは高次元で、もちろん製品のマーケットも高階層のそれでした。 腕時計の製造をスタートしたのは1910年。当然ハイクラス向けのものでした。1938年にはLeCoultre/ルクルトと契約し腕時計機械のほとんどはLeCoultre製のものとなります。ただしLeCoultreから提供される時計機械はVacheron&ConstantinとAudemars Piguet/オーデマ・ピゲの2社専用の高級機のみ。その機械のパフォーマンスはクロノメーター規格以上に厳しい「ジュネーブシール」規格を取得する徹底したものであり、時計機械でありながら高級素材を惜しみ無く使い、時間をかけて作り込まれたものばかりでした。 1940年に経営不振からCharles Constantinは大半の株式をGeorges Kettererに売却、同社の経営は創業2家から離れます。ただし会社の主要形態は変わらず、むしろルクルトの機械を搭載した高級ウォッチの販売は好調を持続しました。1970年代のクオーツショックを経て1980年代のはじめサウジアラビアの石油王Yamaniが『Vacheron&Constantin』の商標だけを買取り、さらに1996年になって南アフリカの有力者でVenDome Groupのオーナーである、Johann Rupertが同商標を手に入れ今日に至ります。 2003.6 update |
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現行の時計では『Vacheron Constantin』と“&”のない表記がほとんどですが、ヴィンテージウォッチでは『Vacheron&Constantin』となっています。 先にも紹介しましたが、社標のMaltese crossはマルタ十字軍のシンボルマークが由来。ちなみに「Patek Philippe」の剣と十字架を組み合わせたカラトラバマーク(こちらの「竜頭」参照)は12世紀のカラトラバ十字軍のシンボルマークに由来しています。 |
シースルーバックなどない時代、ましてや一般の人が時計機械を見る場面などない時代に、これほど芸術的な機械を載せていたことに驚きます。 |
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ローター下のブリッジとテンプの下にジュネーブシール(ジュネーブ市章)が見られます。ジュネーブ市の時計任意検査局が定める精度・品質規定がジュネーブ・シール。精度規格であるクロノメーター(こちらで解説)のテストは15昼夜360時間行われるのですが、ジュネーブ・シールのテストは600時間をかけて行われるとのこと。また精度だけではなく、仕上げ、素材、サイズ、構造にまで決まりがあり、3大ブランド(「Patek Philippe」「Vacheron&Constantin」「Audemars Piguet」)と一部の超高級メーカーが取得するばかりです。 |
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左側のP字型の部分は「locking-click plate」と呼ばれる機構。 | ローターに18金を使用。ローター外周の比重を重くしています。 |
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Vacheron&Constantin-Cal.K1072(1959年1年間だけ製造)のテンプをGyromax balanceにしたのがこのCal.K1072/1。1959年から数年後に1072に見られた若干のトラブル要因を解消し開発されました。LeCoultre製の機械です。 Cal.K1072ならびにCal.K1072/1と同じ機械はAudemars Piguet/オーデマ・ピゲにも供給され、オーデマ・ピゲにおけるVacheron&Constantin-Cal.K1072/1はAudemars Piguet-Cal.K2072にあたります。 Vacheron&ConstantinとAudemars Piguet専用に開発された機械で「LeCoultre」の自社完成品には搭載されていません。 |
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テンプに緩急針はなく、Gyromax balance/ジャイロマックス・と呼ばれるフリースプラング(freesprung)テンプを採用。外周にある丸いオモリのようなものを補正しテンプの往復運動を微調整します。写真では見えませんがヒゲはブレゲヒゲ。耐振装置はKif-Flector shock(キフショック)です。 |
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ベアリングの代わりにルビーローラーを採用。これも手が込んでいます。 |
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裏蓋内側にはオーバーホールの履歴を確認。 |
1938年以降「Vacheron&Constantin」の腕時計機械のほとんどは「Jaeger LeCoultre」から供給されたものでした。これは「Audemars Piguet」も同じような状況で、結果「Vacheron&Constantin」と「Audemars Piguet」に搭載される時計機械の一部は共通しています。ただし「Jaeger LeCoultre」が積極的に機械供給をしたのはこの2社のみ。他にも「IWC」や「Favre Leuba」(例)などにも機械供給をしていますが、「Vacheron&Constantin」「Audemars Piguet」へ供給する機械とは区別されているようです。 1833年に時計工房を開設したAntoine LeCoultre/アントワーヌ・ルクルトから「LeCoultre」社の歴史が始まります。彼が工作機械職人であったことから、同社はムーブメント供給メーカーからのスタートとなりました。実際、自社ブランド「Jaeger LeCoultre」を立ち上げ腕時計の完成品を出荷するようになったのは1929年。それ以降も軸足はムーブメント供給メーカー(エボーシュ)にありました。それは「Vacheron&Constantin」と「Audemars Piguet」に供給した高級機械のほとんどは、その2社専用の機械として自社の「Jaeger LeCoultre」製品に搭載しなかったことからも伺い知れます(一部例外あり)。 手巻き、自動巻、アラームと多岐に渡る時計機械で間違い無く世界最高の技術を持っていた「LeCoultre」ですが、クロノグラフだけは手掛けていません。「Jaeger LeCoultre」銘のクロノグラフの多くは、当時コンプリートメーカー(自社で機械から一貫生産する完成品メーカー)であったUniversal/ユニバーサルの機械を搭載しています。不得意な機械であっても、エボーシュ専業ではなくコンプリートメーカーから供給を受けるあたりに高級機エボーシュとしてのプライドを感じます(ただし1970年前後になるとバルジュー製のクロノグラフ機械や、AS社製の自動巻機械などエボーシュ製機械も採用しています)。 元々は「LeCoultre」が会社で「Jaeger LeCoultre」がブランドのような形でしたが、ヴィンテージウォッチの文字盤には「Jaeger LeCoultre」「LeCoultre」「Jaeger」と3種類の表記が混在しています。1970年代までは、マーケット(国別)や製品によってブランド銘を使い分けをしていたためと言われますが、明確な線引きはなかったようです。アメリカへの輸出品には「LeCoultre」銘が使われており、「Jaeger LeCoultre」をワンランク上のブランドとした向きもあります。 1978年にドイツのタコメーター企業「VDO」が経営に関与するようになって以降は「Jaeger LeCoultre」という名称がより統一された企業名、ブランド名になりました。現在ではよりコンプリートメーカーの色彩を強めていますが、高級機エボーシュの立場も継続しています。1990年代に機械式時計が復権して以降も「Vacheron&Constantin」「Audemars Piguet」に継続的に機械提供を行い、「Patek Philippe」の一部にも同社の機械は搭載されています。 |