|
|
BUREN(ビューレン)のintra-matic。マイクロ・ローターBuren/Cal.1280を搭載しています。ケースは18K金無垢。ネットオークションを通じてイスラエルの方から譲って頂きました。 ビューレンはユニバーサルと並んでマイクロ・ローターを得意としたメーカ−です。厳密にはビューレンが特許を取得し、ユニバーサルは代金を支払いその使用権を得ていました(解説)。ビューレンからCal.1000系の機械が1957年にリリースされ1962年にこの後継Cal.1280系が誕生。1000系(日付なし)の機械厚さが4.2ミリだったのに対して2.85ミリまで薄型化に成功しています。同機械を搭載した時計は「intra-matic」と名付けられリリース。さらに1000系の機械をHamilton(ハミルトン)社に提供したように、Cal.1280系の機械もハミルトン社とBulova(ブローバ)社に提供されました。ハミルトン社の時計には「Thin-o-matic」と、ブローバ社のものは「ambassador」と製品名が付けられリリースされています。 薄型機械でありながらパワーリザーブは54時間。30石の多石機械で、一部ブルースチールのネジを使用するなど高級感もあります。両方向巻上げの仕組みも検証してみました(ページ下)。 ビューレンは1842年に創業。スイス、ビエンヌから10キロほど東のBuren村に最初の時計工房を開きました。ブランド銘はそこからとったようです。1873年には工場を建造し本格的な時計製造をスタート。1873年から1898年までの企業名は「F.Suter&Co.」。1898年にイギリス人資本になり企業名は「H.Williamson Ltd.」となりました。1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街の株式取引所で株価が大暴落、世界恐慌の発端となります。これに打撃を受けた「H.Williamson Ltd.」は1932年に倒産。「Buren Watch」の資産、商標は再度、スイス人資本に移りました。新しい企業名は「Buren A.G.」。同社は株式を公開します。「Buren A.G.」立ち上げ後の数年は経営状況は非常に悪かったとのこと。その状況を救ったのは1954年に特許を取得した「mini-rotor」(マイクロ・ローターのこと)。「mini-rotor」は同社を広く宣伝し、同機構を持った機械を搭載した時計は広く世界で販売されました。またBurenブランドの時計だけではなく「Hamilton」社にも納入。Burenの稼ぎ頭になります。このことで会社は躍進し経営は安定します。初号機Cal.1000の機械厚さは4.2ミリを達成。当時の自動巻の中では非常に薄型の機械でした。製品名はその名も『Super Slender』。1957年に完成品が発売されています。そして5年後1962年にはここで紹介するCal.1280系を世に送りだしました。さらに1969年に発表された世界初の自動巻クロノグラフ「クロノマチック」の開発にも参加。クロノマチックはHeuer/ Breitling/ Buren/Hamilton/ Dubois Deprazの共同開発と言われますが、開発途中の1966年、ビューレンはハミルトンに買収されてしまいます。1971年11月6日、そのハミルトンもオメガを中心としたスイス資本SSIHグループ(現在のスォッチグループ)に買収されました。SSIHは1972年に会社としての「ビューレン」を清算、現在はスォッチグループが「BUREN」の商標を持っているようです。 2002.6.22 update |
1 ローターが右に回転 2 左右にスライドする遊動車が右に移動 3 4とは直接噛み合わずブリッジ下の車と噛む 4 この車を介して4に伝わり『左回転』 ※ 中間車上の赤い丸ガラスは受石ではありません。 |
1 ローターが左に回転 2 左右にスライドする遊動車が左に移動 3 3と噛み合い『左回転』 |
|
|
わずか5年違いの機械ですが、Cal.1000系の4.2ミリからCal.1280は2.85ミリまで薄型化されています。 |
|
|
Cal.69系、Cal.2-66とも同時期のビューレンより1年遅れのリリース。一方、Cal.69系は4.1ミリ、Cal.2-66は2.5ミリとビューレンよりも薄さで上位に立っています。ビューレンの機械を意識していたのでしょうか。 |
|
|
1969年に発表されたクロノマチックはHeuer/ Breitling/ Buren/Hamilton/ Dubois Deprazの共同開発。「時計の基幹ユニット」と「クロノグラフ・ユニット」を上下に合体させたような構造を持っています。基幹ユニットはビューレンの機械を基礎としているのが分かりますね。 |