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1946年から製造が開始されたセイコー新10A型(10石)です。製造は第二精工舎諏訪工場(当時は大和工業)※。戦後まもない時期は亀戸工場は壊滅状態で疎開工場の諏訪から時計製造が再開されたとのこと。1948年から精工舎亀戸工場で製造された新10B型とならび戦後復興期のセイコーの主力だったようです。 ブルースチールの針やアップライトのアラビア数字、分目盛は非常に手のかかった仕様。当時の高級品と想像します。アイボリー色の文字盤が上品な雰囲気。ケースにはセイコーの刻印はみられませんが、裏蓋は内側に仕上げが施された上等なもの。ステンレス製というのも国産製造品としては若干時代が合いません。機械のサイズが限られていた時代ですので時計店で組み立てたものかもしれませんね。 デッドストック状態でしたのでバナナ型と呼ばれる新10A型の機械は錆などない素晴らしい状態を保持していました。 |
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セイコーで10型と呼ばれる機械は直系23.3ミリのものを差します。他には8型、9型が(男性用)腕時計の定型サイズとして存在しました。戦前は機械サイズが限られていたこともあり時計店自らが機械とケースを別に仕入れて組立てを行うことも多かったようです。 セイコーの主な戦前・戦後機械にはここで紹介しているもの以外にネーション系と呼ばれる機械があります。 セイコーをはじめ主要国産メーカーは戦後の早い時期にスモールセコンドからセンターセコンドに製品の主軸を移しました。さらに出車式※と呼ばれる機械構造もほとんど見られません。 ※出車式の解説はこちら |
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掲示板にお越し頂いている四国の時計師kuroさんから戦前、戦後の時計店のお話を伺いました。kuroさんのお父様も時計師だったそうです。 戦前のことですが毛ゼンマイも渦巻きの形ではなく1本の板棒状になっていた 戦後の昭和21年に時計商を始めたのですが、その頃はカタログなどはなかったと聞いております。その当時の時計は現在のように製品化されたものではなくケース、本体(中古品)、文字板、針などお客さんの好みで組み合わせて調整して販売してたようです。いわゆる時計師の腕で商売ををしてた時代でそんな状態がしばらくの間つづいたと聞いています。 |