Minervaのクロノグラフです。自社製機械Cal.13-20CHを搭載。文字盤は経年劣化でスポット、汚れが目立ちますが、ケースは美しい状態を保っています。ミネルバ製クロノグラフによく見られる特徴的なデザインのラグが全体の雰囲気を決定づけています。Cal.13-20CHは2つのプッシャーが上下に広く離れラグよりに配置。ケースによってはそれが不自然に見えることもあるのですが、この時計では長い足のラグが全体のバランスに寄与しているように感じられます。 金属質の文字盤上にはスラッと長いリーフハンド(針)と後方にワンポイントを持たせたクロノグラフ針が伸びています。銀色のアラビア・インデックス、外周目盛は計測時計らしい真面目な意匠。 最大の見どころは搭載機械Cal.13-20CHです。腕時計機械史でも名機と名高いクロノラフムーブメントはダメージのほとんどない状態でした。ムーブメント径/28.8mm(12-3/4Lignes)はValjoux23/72系(13Lignes)などと比べると若干小さいサイズ。その分、機械の部品配置は窮屈な印象です。部品点数の多いクロノグラフの小型化は設計・組み立てともに高い技術が求められたことでしょう。このCal.13-20CHはマンガ「ギャラリーフェイク」でも取り上げられました。 この時計の入手を機会にMinervaの歴史についても調べてみました。 1858年、Charles-YvanとHippolyte Robertの二人がスイスのVilleretという小さな村に時計工房を開きました。これがMinervaの起源と言われています。当初はスイスの時計産業都市、Fontainmelonにあったエボーシュ(解説)と連携し時計機械の組立て・下請け作業を請負っていました。1878年にはCharles RobertとGeorges Robertの兄弟が会社を引き継ぎます。1885年、Yvan Robertがこれに加わり、この3名が会社の責任者となる体制を確立。これを機会に社名はRobert Freres Villeretとなり“矢印”をデザインしたトレードマークも決定、商標登録を行いました。1900年代に入り、同社は懐中時計の自社製造をスタートさせます。最初の時計は18Ligne(Ligneの説明)のシリンダー脱進器を使ったものでした※。次いで現在も使われるスイスレバー脱進器の懐中時計の製造をスタート。さらにクロノグラフムーブメントの開発にもいち早く着手し、1908年、同社初のクロノグラフムーブメントCal.9CHを完成させます。1923年、Minervaの名前が初めて同社製品の文字盤に記されます。Minervaはギリシャ神話に出てくる知恵の女神。神話の中で、ミネルヴァ(別名/アテナ)は技術の守護神で、農業、航海術、機織りなどの道具を次々と開発。またミネルヴァは「処女神」とも呼ばれる高潔な女神です。同社はMinervaをブランドとし、ビジネス上の企業名はFabrique MinervaやRobert Freres S.Aを使用するようになりました。 1929年、世界大恐慌が起こると同社も大きな打撃を受け事業が立ち行かなくなります。これによりRobert家は同社の事業から身を引くこととなります。この事態に同社のエンジニアであったJacques PelotとメカニカルのCharles Haussenerが事業を引き継ぎました。同社は新たなクロノグラフムーブメントを開発。19LigneのCal.19はこの時期に開発され、同社を代表する時計機械のひとつとなっています。1936年、ドイツ・パルテンキルヘンで開催された冬季オリンピックのスキー競技で同社の計測機械が公式使用されました。これをきっかに同社のストップウォッチは世界で広く使用されるようになります。同社の経営は軌道に乗り、1940年、Jacques Pelotの甥であるAndre Freyが経営に参加。これ以降Frey家が同社を率いるようになります。また今回紹介するクロノグラフ・ムーブメントCal.13-20CH(12-3/4Lignes)を市場投入。性能は然ることながら芸術性の高い造形は“女神ミネルヴァ”の名にも値する同社、最高傑作機械となりました。この機械を搭載したクロノグラフ製品も好調なセールスを記録したようです。 その後、Frey家は3代にわたり「Minerva」を率いますが、90年代に入り時計製造には無縁の資本が同社を買収。現在は表立った時計製造、販売は行っておりません。 2005.8 update ※ シリンダー脱進器については「FlasfWatch」さんがその構造、動きをFlashで解説されています。非常に理解が進みますのでここに紹介させて頂きます。 |