ETERNA(エテルナ)の三針センターセコンドです。黒文字盤とクッションケースが特徴的。搭載ムーブメント(時計機械)などから判断して1940年代の時計であることが分かります。オークションを通じてドイツの方に譲って頂きました。 クッションケースのこのケーススタイルはエテルナ以外にも複数のメーカーが製品化しています。同時期のLONGINESがこれと似た雰囲気のスモールセコンドを製品化していますが、ヴィンテージ(アンティーク)マーケットでは有名なモデル。「軍用時計」として紹介されることが多いようです。当時としては防水性のあるスクリューバック、ラグが一体となったクッションケースは相当に頑強な腕時計となります。実際に裏蓋を開けてみますと半世紀以上も経過した時計とは思えないほどムーブメントは美しい状態を保っていました。 このムーブメントは懐中時計をスケールダウンしたような造形に出車(説明)を設けた非常に美しいものとなっています。時計の入手を機会にETERNAの歴史を調べたのですが、これを通じてスイス時計産業の歴史や文化なども知ることができました。 2005.5 update |
スイスのJura渓谷エリアにある Grenchen(グレヒュン/グレンヘン)村がエテルナ発祥の地です。1800年代中頃、非常に貧しい土地であったGrenchenの失業問題は深刻でした。1851年、地元農業に携わる自治組織が中心となり、マイスター(時計職人)を村に招き入れ、Grenchenに時計産業を興すことを目指します。1856年11月7日、この活動に参加していた内科医のJosef Girardと学校教師のUrs Schildがムーブメント製造会社「Girard& Schild社」を設立。これがETERNAの起源です。 当初は懐中時計のムーブメント製造からスタートし、すぐに腕時計用ムーブメントも手掛けるようになります。いずれも下請けとして製造し、完成品メーカーにそれらを納めていました。1866年から会社の責任者となっていたUrs Schildは、当時まだ珍しかった時計のアラーム機能に注目。同社はアラーム付の“懐中時計”製造に専念し、これが同社の成功に結びつきます。1870年代に「ETERNA」と名付けた完成品もリリースし、これが同社の社名となりました。ムーブメント製造会社としてスタートした同社は、分業製造の進んだスイス時計産業界では珍しい、一貫生産・大量生産を行う完成品メーカーに発展。エンドユーザーに近い立場で製品への要望を把握、それをフィードバックしムーブメント製造を行う大きな利点を得ます。1908年にはユーザーの声に応じてアラーム付“腕時計”のムーブメントを開発。パテント(特許)も取得しました。「avant-grage」と名付けられたこの時計が世界初のアラーム付腕時計だと言われています。 1930年代は同社の技術が花開いた時代でした。ムーブメントの製造技術はさらに発展し、1930年に世界最小のムーブメントを搭載したトノーウォッチを発表。この出来事は後年、最小・最薄の製品作りに執念を見せた同社の礎となります。 ムーブメント製造会社としてスタートした「ETERNA」の技術力、生産力は完成品メーカーとしては際立っていました。外部メーカーへのムーブメント供給も行っていた同社は、1932年外部メーカー用のムーブメント製造部門を本体から切り離すことを決定します。これが後に別会社となるエボーシュ(時計機械製造会社)「ETA」の前身。「ETERNA」は60年代後期まで、自社完成品には徹底して自社製造(ETERNA製)ムーブメントを搭載し、「ETA」製ムーブメントは徹底して使用しませんでした(ETA社の歴史は下で紹介)。 横道にそれますがここで完成品メーカー「ETERNA」とエボーシュ「ETA」について考察します。なおエボーシュという言葉の定義は曖昧で、もともとは“半完成ムーブメント”の意味で使われていました。後にこれを作る専門の製造会社を指すようになったようです。 長い歴史を持つスイス時計産業においては、時計産業に携わる企業、産業の序列は非常にハッキリしていました。19世紀末からの第二次産業革命に影響を受けた時計産業界では「分業」の考えが進みます。完成品メーカーを頂点に下請けメーカー、孫請けメーカーと連なる産業構造は、ある種のヒエラルキーの雰囲気も持っていました。歴史的にヨーロッパの貴族社会と結びつきが強かった時計産業界(参考テキスト)においては、文化的にその素地があったと言えるかもしれません。こういった状況を背景にエボーシュは時計産業界において長い間“低俗”とされる風潮があったようです。1800年代、スイス時計産業の聖都とも言えるジュネーブ市においては、市入口の門より内側にエボーシュの作業所(工場)を設けることを制令として禁止していたほどでした。こういったスイス時計産業の伝統・文化を背景に、自らの経験としてエボーシュの境遇を知っていたであろう「ETERNA」社は、「ETA」社のムーブメントを自社製品に組み込むことを(ブランド戦略も含めて)意識して回避したものと考察します。「ETA」の分離以降、「ETERNA」「ETA」はそれぞれ別工場でムーブメントを製造しており(この時代、技術進歩の早かった自動巻構造などの技術は共有していますが)両社のムーブメントは部品形状のレベルからして違うものとなっています(比較検証)。「ETERNA」製造のムーブメントは「ETA」製造のそれと比べると明らかに(クロノメーター規格取得などの精度レベル、機械の仕上げ等に見られる)高品質なものでした。この一見すると非効率にも思えるグループ内分業は“時計機械から見た”スイス・ウォッチ史の一側面を表しているのかもしれません。 完成品メーカーとエボーシュ※の両方の顔を持つメーカーとしては「Jaeger-Lecoultre」「Girard-Peregaux」なども挙げられます。興味深いのは「Jaeger-Lecoultre」は「Audemars Piguet」「Vacheron&Constantin」「Patek Philippe」などの超一流メーカー用のムーブメントを委託され製造していましたが、これらほとんどのムーブメントは自社「Jaeger-Lecoultre」銘の完成品には搭載しなかったという事実です。これはムーブメント提供先の一流ブランドへの配慮、もしくは契約であったのかもしれません(※Ebaucheという言葉にかつて差別的な意味が含まれていたとする歴史認識もあることから、まかりなりにも高級メーカーであったJaeger-Lecoultreをエボーシュと表現するかは疑問)。これらの機械は時計史にも残る圧倒的に高級なものばかりです。つまり、「Jaeger-Lecoultre」は外部に提供したムーブメントが自社ブランドの完成品に搭載するムーブメントよりも高級であった特異な時計メーカーでした。「Jaeger-Lecoultre」と「Vacheron&Constantin」の関係はこちらで紹介。「Girard-Peregaux」のエボーシュ作業の一例はこちらのテキスト内で紹介。 「ETERNA」は1942年、当時としては最小・最薄の自動巻腕時計(バンパー式自動巻/Cal.1033搭載/径21.8mm・高4.5mm)を発表し、自動巻機械においても優秀な技術力を世に誇示しました。そして1948年、「ETERNA」最大の時計技術が誕生します。それは自動巻のローターにベアリング・ボールを組込むというもの。現行の自動巻ムーブメントのほとんどが同技術を採用しているほど、高い効果(ゼンマイの巻上効率)の得られるものでした。同社が使用するトレードマーク「ファイブ・ボール」はこのベアリング・ボールをモチーフとしたものです。 1956年には創業100年を記念してハイクオリティー、高精度の「Centenaire」シリーズを発表。ヴィンテージ・ウォッチファンのコレクトアイテムにもなっています。 「ETERNA」の小型ムーブメントへの挑戦は50年代以降も続きます。1958年「Golden-Heart」と名付けられた23金ローターを有した豪華な女性用自動巻腕時計(Cal.1419搭載/径15.3mm・高5mm)は当時の世界最小自動巻腕時計として記録。非常に美しく特徴的なこの女性用腕時計は、イタリアの映画女優Gina Lollobrigidaの腕を飾ったことでも世の注目を集めました。さらに1962年、女性用自動巻腕時計「Sahida」(Cal.1445搭載/径15.3mm・高4mm)、男性用自動巻腕時計「Eterna Matic 3000」(Cal.1500K搭載/径29.3mm・高3.6mm)で自動巻腕時計(男性用、女性用)の世界最薄記録(当時)を打ち立てます。 時代は前後しますが「ETERNA」のスポーツウォッチに「KonTiki」の名称が使われるきっかけとなる冒険が1947年4月にスタートしました。ノルウェーの冒険家Thor Heyrdahl(トール・ヘイエルダール)氏が5人のクルーと共にバルサ材で作った筏(イカダ)KonTiki(コンティキ)号でペルーのカヤオ港から7600キロ離れた東ポリネシアのラロイア環礁に100日間かけて行った航海です(詳細)。彼らはこの航海中、「ETERNA」製の腕時計を使用しており、これを機会に「ETERNA」のスポーツウォッチ・ラインに「KonTiki」の名称を使うことになりました。「KonTiki」ラインは時代ごとに多くのモデルをリリースしてきましたが、どのモデルの裏蓋にも筏(イカダ)KonTiki号が刻印されています。 世に電池駆動の腕時計が誕生すると「ETERNA」も積極的にこれに取り組みます。1970年には同社初の電池式腕時計(音叉式)「Eterna-Sonic」を発表。これはブローバ社が基礎的な技術を開発したものです。電池式の主役がクオーツに移行するとスイス時計メーカー淘汰の時代に入りますが、同社はクオーツ・ウォッチにおいても自社の特質を持って製品開発にあたりました。得意の薄型化技術をここにも発揮したのです。1976年に発表した「Royal Quartz KonTiki」は100メートル防水のカレンダー付ウォッチとして世界最薄を記録。さらに1979年には高さがわずか1.5mmのクオーツ・ムーブメント「Linea Quartz」を発表。これも当時のムーブメント薄さ世界一となっています。同社史上最薄のムーブメントは1980年に誕生しました。ムーブメント高0.98mmの「Estrellita Quartz」です。このムーブメントは(この時点で)既に資本関係のない別会社となっていたETA社と共同開発したものです。アナログ表示(2針)クオーツのムーブメントとしては現在もこの世界最薄記録は破られていません。 しかし「ETERNA」も廉価なクオーツ製品が世に溢れはじめた“クオーツショック”には抗することができず、1982年より創業家の資本を離れ複数の資本下を転々とします。最終的に1995年10月、「ポルシェデザイン」で有名な「F.A.P.Beteiligungs GmbH」の資本下に入りました。F.A.Pは同社デザイナーで初期のポルシェ911をデザインしたFerdinand Alexander Porcheの頭文字。(同社は自動車メーカーのポルシェとは資本関係はありません)。1997年まで「F.A.P.Beteiligungs GmbH」はウォッチ・メーカーIWCと提携しており、「ポルシェデザイン」の腕時計はIWCをパートナーに開発されていました。現在IWCとの提携は解消しており、「F.A.P.Beteiligungs GmbH」の“身内”となった「ETERNA」が「ポルシェデザイン」の腕時計を手掛けています。 多くのスイスウォッチメーカーの例に漏れず、現在の「ETERNA」は自社で時計機械の製造を行っていません。現在では資本も異なる「ETA」からムーブメントの供給を受けています。超巨大エボーシュとなった「ETA」からムーブメント供与を受けることは、多くの名門スイスメーカーと同様の状況ではありますが“時計機械ファン”の立場で「ETERNA」の歴史を想うとき、えも言えぬ気持ちにもなります。 参考文献 1.Wristwatchew/Gisbert L Brunner Chritian Pfeiffer-Belli 2.Automatic wristwatches from Switzerland/Heinz Hampel 3.世界の腕時計No.16/WPP 4.ヴィンテージウォッチ7th/日経BP 5.バーゼル時計年鑑/WPP 6.ウォッチアゴーゴーNO.33/WPP |
1932年、ETERNAが外部メーカーに供給するムーブメントの製造部門を本体から切り離したのは前記の通り。これがETAの前身となります。同部門はすぐに「ETA S.A.」という名前の一企業となり、名実ともエボーシュ(時計機械製造会社)となりました。当時、スイスのエボーシュは老舗のAS社、FHF社、A.Michel社(Felsa社が後年吸収)の呼び掛けにより連合企業体/組合「Ebauches S. A.」を組織していました(1926年〜)。1950年までに「Ebauches S. A.」は小さな孫請け会社等も含めると50社以上のエボーシュを束ねるほどの巨大組織に成長します。「ETA S.A.」は当初、ETERNAの子会社でしたが、この「Ebauches S. A.」に参加。自動巻機械において圧倒的な技術力を持ち、これに平行して大きな資金力を得た同社は、瞬く間に「Ebauches S. A.」の中心的存在になります。(時期は明確ではありませんが)「ETERNA」との資本関係を解消した「ETA S.A.」は、1985年ついに「Ebauches S. A.」を吸収する形で一体となり超巨大エボーシュとなりました。 当時、スイスの主要完成品メーカーも2つのグループを形成していました。オメガ、ティソを中心とした「SSIHグループ」(1930年〜)とロンジン(歴史)、ラドー(歴史)などを中心とする「ASUAGグループ」(1931年〜)です。この両グループが1983年、合併して「SMH(スイス・マイクロ・エレクトロニクス)」になりました。1986年「ETA S.A.」は「SMH」と合併。1998年には名称変更し、現在の「スウォッチ・グループ」となっています。 ☆備考ですが、この合併の経緯で複数のグループ資本下で時計機械を作り続けたメーカーにLEMANIAがあります。同社は完成品メーカーながら外部(SSIHグループ)メーカーの時計機械製造を積極的に行ってきた特異な会社です。スピードマスター・プロの機械製造などで有名。1999年に(この時点で一体となっていた)「Breguet/ブレゲ」が「スウォッチ・グループ」に買収されたことで、現在は「スウォッチ・グループ」のクロノグラフ機械、高級機を中心に製造を行っています。もともとクロノグラフ製造では超一流のメーカーでしたが、参加する資本の合従連衡の中で高級機械を得意とするようになった興味深い歴史を持っています。詳しくはこちら。 |