BULOVA ACCUTRON Cal.218

   

  

  

  

  

  

  

  

 BULOVAの音叉式時計ACCUTRONです。第ニ世代のCal.218を搭載。第一世代のCal.214()搭載機は裏蓋にある特殊な竜頭で時間合わせをする方式でしたが、Cal.218搭載機は4時位置に竜頭を設けました。普及期のACCUTRONと思われます。シンプルな文字盤とケースデザインですが、宇宙人のようなノッペリ顔は新技術を搭載した“未来ウォッチ”の装い。濃紺の文字盤は金属質で鈍く光を反射します。譲って頂いたアメリカ人セラーの説明によると「Cal.218モデルの発売前にセールスマンがプレセールスで使った見本ケースにドーナーを載せて作ったカスタム」とのこと。「正規モデルにはないケース」だそうです。裏蓋内側にもわざわざCal.218を搭載するよう指示する刻印があることから真実味はあります。カスタム品とはいえ未使用状態で音叉機械も快調。音叉時計独特の「キーン」という動作音をたてながらのスイープ運針もまた“未来ウォッチ”を主張しているかのようです。

 今回、BULOVAの歴史についても調べてみました。

 1875年、チェコからの移民であったJoseph BulovaはニューヨークのMaiden Laneにジュエリーショップを開きます。これがBULOVAの起源。彼の商売は順調に推移し、ジュエリーと共に扱っていた時計についてもその売り上げを伸ばしていきます。1911年より掛時計や置時計などクロックの製造をアメリカ国内でスタート。また懐中時計の開発、製造にも着手し、腕時計についても製品開発を急ぎました。1919年には男性用腕時計の製品が充実、シリーズ展開をするまでになっています。1926年、BULOVAはクロックラジオを製品化、世界から多くの引き合いを受けました。1930年代から40年代にかけてはウォッチメーカーとして黄金期を迎えます。同社が次々と発売した金張りスクエアケースの腕時計が爆発的なセールスを見せ、BULOVAはメジャー時計ブランドとして知れ渡ります。

 50年代初頭、同社研究所の責任者であったオマー・ブラッドリーは元軍人(第二次大戦ヨーロッパ戦線陸軍大将)である自らの人脈からスイス人エンジニアのマックス・ヘンツェルに新世代・電気式時計の開発を要請します。1953年、ヘンツェルは高速で振動する音叉運動を時刻制御と運針動力に使うクロックの開発に成功。これを小型化し、1960年に腕時計「ACCUTRON」を発表しました。360Hz(1秒間に360振動)の振動数を持つ「ACCUTRON」は、10振動/秒が製品の限界であった機械式時計とは比較にならない高精度を達成。HAMILTONが開発、1957年に発売された世界初の電池式腕時計機械(電磁テンプ式)も精度の面では「ACCUTRON」には全くかないませんでした。この技術はBULOVAに莫大な資金を呼び込みます。BULOVAは「ACCUTRON」製品を多数展開。文字盤をシースルー化した「スペースビュー」はデザイン面からも人気モデルとなりました。また、ヘンツェルがスイスのエボーシュS.A(解説)に移り、開発した新世代の音叉機械「モサバ」(1968年〜)を多くのスイス時計メーカーが採用。これらの特許料もBULOVAを大いに潤しました(音叉時計機械一覧)。モサバ誕生の1年前の1967年、BULOVAはスイスの老舗時計メーカーUNIVERSAL(歴史)の資本を取得。これを機会にスイス・メーカーではいち早くUNIVERSALが音叉時計を発売することとなりました。10社以上のスイスメーカーが、前述のエボーシュS.A製「モサバ」を採用しましたが、UNIVERSALの音叉時計(UNI-SONIC)には「モサバ」ではなくBULOVA製音叉機械が載っているのはそのためです。また日本のシチズンは1970年、BULOVAと共同出資で「ブローバ・シチズン」(現在の「シチズン電子」)を日本に設立。シチズン銘(HISNIC/COSMOTRON-GX)の音叉時計を製造、発売しました。BULOVAの音叉時計は60年代のNASA宇宙計画でも活躍、同時代を代表する時計技術として台頭したのです(解説)。

 しかし腕時計機械のスタンダードになるかと思われた音叉時計も、セイコーが1969年に製品化に成功したクォーツの出現によりその絶対的な地位を失います。クォーツの振動数は初期のモデルにおいても1万/秒に近く、普及品が出回る頃には3万/秒を超えるものも珍しくなくなりました。機械式(電磁テンプ含む)の30倍以上の振動数を誇った音叉式機械も、それの100倍以上のメガ/秒ウォッチの誕生、普及に引導を渡されてしまったのです。

 1970年代、BULOVAは深刻な資金難に直面。1977年にはUNIVERSALの所有株式も全て売却してしまいます。1984年からは時計製造から完全に撤退。現在のBULOVAは商社の経営形態で、BULOVAブランドの時計販売に関わっている状況です。 2005.8 update

(参考資料)Wristwatches Gisbert L. Brunner/Christian Pfeiffer-Belli(KONEMANN) ウォッチアゴーゴーNo.6(ワールドフォトプレス) デジタルウォッチ大図鑑(グリーンアロー出版社)

    

  

  

  

   

  

   

裏蓋上部にあるN6は製造時期を表します。Mは'60年をNは70年を示し、その次の数字は年の一桁目を示しますので、この時計(ケース)の製造年は76年。音叉時計研究家のXenoさんに教えて頂きました。