ERNEST BORELのカレンダー付き自動巻。1950年前後の腕時計だと思われますが、ふっくらとした金張りケースはヴィンテージウォッチらしいあたたかな雰囲気です。ERNEST BORELは過去、輸入代理店がなかったことから日本ではあまり馴染みがあまりありません。一方、欧米では有名なブランドで、ヴィンテージ・ウォッチの専門書では名門ブランドとして大きく紹介されています。
1859年、Jules Borelと義理の兄弟であるPaul Courvoisierはスイスのニューシャテルに「Borel & Courvoisier」を立ち上げました。創業、間も無いうちから素早いビジネスを展開。最初の年に早くもニューヨークの代理店と販売取引を始めています。また矢継ぎ早に、ロンドン、ドイツのハンブルグ、ウクライナのオデッサ、アルゼンチン・ブエノスアイレスのラ・プラタなどでも腕時計の販売をスタート。男性用腕時計は19型、女性用は14、15型に特化し、多くのムーブメント製造会社から時計機械を納入、それをケースする形で完成品を仕上げていきました。取引きを行ったムーブメント製造会社は「Japy Freres」「Beaucourt」「Rober & Cie」「Fontainmelon」「Mauler & Pucommun」「Travers」など。特にプレステージモデルについては「Girard-Perregaux」「Aubert」から納入した時計機械を搭載しています。 1866年にニューシャテル天文台で開催されたクロノメーター・コンクール(解説)では多くのスイスメーカーが参加する中、同社製(同社がケース、調整した)の時計が第一位を獲得。さらに1870年、1875年、1876年にも同コンクールで第一位の名誉に輝いています。1876年にフィラデルフィアで開催された万国博覧会では、前年、同年と2年連続でクロノメーター・コンクールで優勝した同社「Jules Borel」製の腕時計が展示され、世界から高精度ウォッチの名声を博しました。 1894年に創業者の一人、Paul Courvoisierが健康上の理由で同社をリタイア。4年後の1898年にはJules Borelが病死し、創業二氏が会社を去ります。そこでJules Borelの息子、Ernest Borelが後継者となり、これを機に社名、ブランドともに「Ernest Borel」となりました。この頃に定められた同社シンボルマークはWinged Helmet(翼のついた兜)でケースやムーブメントに刻印されるようになります。1910年には「Ernest Borel」ブランドは国際的な登録商標となりました。 社名ともなったErnest Borelが1936年に引退すると、Ernest Borelの息子であり、創業者から3代目にあたるJean-Louis Borelが後継者となります。彼は「Ernest Borel」をより強固なブランドに育てるべく会社の規模を急拡大しました。1940年代には手巻、カレンダー、自動巻、クロノグラフといった多様な製品をラインナップ。さらに規格としてのクロノメーター(解説)テストにも大量の時計を送り込んでいます。1946年に同規格テストを受けた件数が全時計メーカー中、2番目に多かったという公式記録があるほど。 戦後になると、Felsa、FHF(参考)、Valjoux(参考)など力をつけた複数の大手エボーシュ(ムーブメント製造会社)から時計機械の納入を行うようになりました。特にFelsa(フェルザ/フェルサ)との関係は深かったようです。時計機械製造は外部のエボーシュに頼りながらも「Ernest Borel」は他社にはないユニークな完成品をリリースし注目を集めました。同社の代表的な腕時計『Cocktail』※はKaleid scopio(万華鏡)を文字盤に模した製品。1953年にリリースされロングリリースとなった『Cocktail』は腕時計愛好家のコレクトアイテムにもなっています。他にも『Rendez-vous』(1946年〜)は前例のない機械式アラームウォッチとして世間を驚かせました。 1978年になると、スイス時計産業全体を襲った“クオーツショック”に「Ernest Borel」も巻き込まれ、名門の時計メーカー「DOXA」などと共に「Aubry Freres」という資本に買収され、創業家の歴史を終えています。 今回、入手した時計にはエボーシュのFelsa製機械が搭載されていました。早い時期の両方向回転ローター自動巻です。機械はスクリューバックに守られダメージのない状態でした。 2004.11 update |
Felsa(フェルザ/フェルサ)は1918年に時計機械製造会社としてスイス・ベルン州のレングナウに誕生しました。創業者はH.Magli(ヘルマン・メグリ)、O.Rufenacht(オットー・リューフェナハト)、A.Tschudin(アルノルト・チューデイン)の三氏。1924年に自社工場をグレンヒュンに移転してより時計機械の製造量を大きく伸ばしています。 1928年にはEbauches S.A./エボーシュS.A.(1926年に設立されたスイスのムーブメント製造会社の組合/連合企業体)に加入。一方で独自の機械開発は続けていきました。1940年になると同じレングナウ創業の時計機械製造会社のA.Michel(A.ミシェル)を吸収。さらに企業規模を拡大します。そしてFelsaは1942年の早い時期に“BIDYNATOR”と名付けた世界初の全回転・両方向巻上のローター自動巻を発表。初号機はCal.410となっています。 “BIDYNATOR”初号機は大きなバレルを備え安定した精度を出し、さらに手巻時には自動巻機構に干渉させない独自の構造を持っていました。Felsaはこれらの構造で特許を取得し、同機構を持った自動巻機械には「BIDYNATOR・PATENTED」と刻印されています。 1947年には“BIDYNATOR”の第二世代をリリース。この第二世代・Cal.690系に今回紹介しているCal.692も含まれています。Cal.690系では第一世代で故障の多かったロッキングホイールの配置を変更。ただしその他、大きな変更点はありません。このCal.690系ではカレンダーモデル、ムーンフェイズ、インジケーターなど付加機能を持たせた多くの派生機械を展開しています。今回紹介するCal.692は第二世代のベース機械Cal.690に日付表示を持たせたもので、1948年にリリースされた機械。Cal.690系“BIDYNATOR”は完成度が高く、多くのスイス時計(完成品)メーカーに採用されました。Cal.690系の後継はCal.4000系。こちらも多くの(完成品)メーカーが自社製品に搭載しています。 Felsaの自動巻機械はBREITLING、MINERVA、EBERHARDといったヴィンテージウォッチ愛好家に人気の完成品メーカーが採用したことと、ETAやASといったメジャー・エボーシュの機械と比べると現存する数が少ないことから、一部の時計機械ファンにはコレクトアイテムとなっているようです。 1969年、エボーシュS.A.の中心企業であったETA社がFelsaを吸収し、同社の歴史は幕を閉じました。 |
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INCASTARを搭載した舶来時計は非常に希少です。その中でMIDOは積極的に同機構を採用していましたが、同社がこの調整機開発にどのように関わったかは不明。 舶来時計に搭載されているINCASTARを“参考”にしたと思われるのがオリエントのTRIOSTAT(トリオスタット)。同社AAA35石、グランプリ64、グランプリ100に採用。しかしそれぞれ少しずつ形状が異なっています。 今回紹介するFELSAのテン輪ブリッジには+-表示がありますが、これは一般緩急機用の部品を流用したためでしょう。この機械では意味を持ちません。 2006.5 追記 ダイワ時計店さんから、QUEEN-SEIKOにも同じ緩急調整機が採用されているとの情報を頂きました。
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ANGELUSの一部のクロノグラフムーブメントも同じ緩急機を使用しています。 |
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FELSAの機械には様々な緩急調整機を見ることができます。通常の緩急調整機(参考写真2)の他にスワンネックに似た形状のものも(参考写真1)。FELSAが完成品メーカーに対してオプションとして設定していたのでしょうか。 機械自体は赤金メッキや磨きが施されたものが多く、時計機械ファンにとってはFELSAの丁寧な仕上げは魅力のひとつとなっています。 |