セイコーの最高級ライン「グランドセイコー」(以下・GS)の自動巻です。「GS」の初代モデルは1960年に誕生。それまでセイコーの最高級品であった「(マーベル系)ロードマーベル」に代わり、新たなラインとして立ち上げられました。時計技術が急速に進歩する中、歴代「GS」はその時々の同社最新・最高の技術を結集して製造。手巻き、自動巻と様々なモデルが存在します。1975年にクォーツ式腕時計「グランドクォーツ」が誕生し「GS」は市場から姿を消してしまいましたが、90年代以降の機械式時計ブームを受けて1998年に機械式をメインとした「GS」ラインが復活しています。 今回紹介する「GS」は1968年に諏訪精工舎(解説)が送り出した自動巻モデル。この時計が国産腕時計史上初の10振動自動巻・製品となっています。諏訪精工舎が開発しジャイロマチックで初めて採用した自動巻機構・マジックレバー(解説)を採用。諏訪精工舎は1967年に新世代の自動巻機械「61系」の初号機としてCal.6106を開発します。これは普及品ラインの「セイコーファイブDX」(以下・5)に搭載されました。この普及品への搭載からスタートした機械をベースに、同社の最高級ラインである「GS」への搭載機械を造り上げたことに若干の疑問があります。 61系「GS」が誕生した1968年の同年に第ニ精工舎/亀戸(解説)が送り出した手巻き「45系GS」。これに搭載された「45系」機械は「GS」と「キングセイコー」(KS)のセイコー2大高級ライン(製品)にのみに搭載されました。60年代も後半になるとセイコー製品において高級品と普及品の精度差は随分と縮まってきていましたが、それまでの同社製品展開においては設計を含めた時計機械の差異、結果としての精度差を、完成品の価格差・クラス分類に反映させる方法が多く取られてきました。セイコーの製品価格分類は外装よりも搭載機械の品質の差に比重を置いてきたと言っても過言ではありません。こういった観点に立つと「5」と「61系GS」という対極的な価格設定の製品が1年の間もなく、同系の機械を搭載し発売されることに違和感があるのです。 一方で「GS」に搭載された10振動機械のCal.6145(他派生)と「5」に搭載された6振動機械のCal.6106とでは、部品の加工や付加、変更、使用油から仕上げに至るまで全く異なり、「(5と61系GSには)別個の機械が搭載されている」(「国産自動巻9/セイコー自動巻2」より)との評価がされています。事実「GS」のCal.6145は同社未体験の10振動というハイビートに耐えることが求められ、さらにクロノメーター基準(解説)よりも厳しい自社「GS検定基準」をクリアする宿命も背負っていました。見方を変えれば「61系機械は(GS機に成り得る)基本設計の高さを持っていた」と言い換えられるかもしれません。また市場的にはセイコー全体の稼ぎ頭であった普及品にこそ注力すべきで、そこに惜しみなく最新設計の時計機械を(あえてGSよりも1年早く)投入したとも想像できます。 ちなみに「セイコーファイブDX」は1967年発売当時の価格が9000円〜。「61系グランドセイコー」は1968年発売当時の価格が37000円〜でした。なお1968年の大卒初任給(平均)は29080円です。 外装に目を移しましょう。それまでの「GS」はデザインからも“生真面目な高級ウォッチ”の印象を持たれてきました。しかし「61系」はケースデザインに多くのバリエーションを持たせ、中にはGSらしからぬ“ポップなデザイン”の製品も見られます。一方で大多数はやはりアッパークラス向けの重々しいなデザインで、ここで紹介する「♯8000」と分類されるケースは代表的な「GSデザイン」。中でも服部時計店初の大卒デザイナーであった田中太郎氏が手掛けた「セイコースタイル」(解説1/2)を最も具現化したのがこの「♯8000」ケースと言われています。同ケースは1966年の亀戸・手巻き「44系」を搭載した「GS」の「♯9000」ケースデザインを基礎とし、1968年に発売された亀戸・手巻き「45系GS」とここで紹介する諏訪・自動巻「61系GS」に採用されました。 「セイコースタイル」はケースに対する平面・曲面の持たせ方から、研摩の方法、竜頭の位置、インデックスの形状、針の加工等まで多岐にわたるウォッチデザインの方程式ですが、特に「GSスタイル/GSデザイン」として独創的に完成されたデザイン手法のひとつが「ケース側面を裏蓋側に向かって逆斜面」にすることでした。「♯8000」ケースにも見て取れます(写真参考)が、この効果は「稜線が美しく流れ、胴の裾回りをキリッと引き締める。腕に着けたときすっきり感じられる秘密」(「THE SEIKO BOOK」〜弟7章セイコーデザインのすべて〜より)となっています。 スイス製を中心とした舶来品が「貴族向けの工芸品」からスタートしたのに対して国産時計は「工業製品」からスタートしたと言われることがあります。またその歴史の年月に大きな開きがあるのも事実。1960年代までの腕時計を見ると、ケースデザインの芸術性、搭載機械の精度やその造形・仕上げの巧みさなどは舶来品メーカーが長じていることは間違いありません。結果、長らく日本人自身に“腕時計のスイス製信仰”があったことはいまだ記憶に新しいところです。しかし“舶来品の模倣”から始まったとされる国産時計も、独自設計の機械でクロノメーター規格を超える精度を達成する(コンクールにも参加)に至り、時計デザインにおいては「ジャパン・ビューティ」とも表現される日本人の持つ美意識と芸術スタイルが70年代を目前にして多くの製品に結実しています。この「61GS/♯8000」はそんな製品の一つなのかもしれません。 2005.9 update |